2010年12月27日月曜日

エスマーレ

光の道。
我が城へと続く光の道。
この坂を上ると小さいながらもスタジオを完備したエスマーレのオフィスがある。
そこでは日々赤ちゃんや妊婦、結婚記念などの撮影が行われている。
「撮影の質がいい」とどのつまりそこなのだ。
この仕事は難しい。
見えないものを売るのは難しい。
僕たちが扱っているのは写真ではなく信用だ。
日々の努力でしか信用は語れない。
来年も心新たに写真と真面目に向き合って行きたい。
エスマーレのギャラリーを見て一人でも多くの人が「写真ていいな」と感じて貰えたら幸いだ。

『雨の直後は撮影チャンス、そうチャンスは必ずやって来る』

2010年12月26日日曜日

赤は特別な色。
ヒーローの色。
三倍増しの色。
時間を短くする色。
虫を遠ざける色。
暖かい血の色。
そして、太陽の色。
来年も全ての人が幸せであります様に。

『濡れた色は美しい』

2010年12月25日土曜日

ホワイトクリスマス

ホワイトクリスマスにはならなかった。
雪が降ったら困るなどと考えるのは野暮な話だ。
雪は降った方がいいに決まってる。
子供ならきっとそう考える。
ならそれが正解だ。
頭で考えて困るとか面倒くさいとか大変だとかそんなのはどうでもいい。
大切なのは直感で楽しいかどうかだ。
大変でも面倒でもいい、人生は楽しい方がいいに決まっている。

『このアングルは何度も撮っている、定点撮影は10回目から効果が出始める』

2010年12月24日金曜日

ツリー

12月になるといつの間にかクリスマスツリーが家族に加わる。
飾り付けは毎年子供の仕事だ。
年々腕を上げている。
最近の7歳は侮れない。
置いてあるプレゼントは全て子供のものばかりだ。
ここにサンタとトナカイからのプレゼントも加わり、クリスマス当日はさながらおもちゃ屋の様になる。(大人は子供からの手作りカードと笑顔で十分なのだ)
そのままお正月に入り誕生日へとなだれ込む。(うちの子は1月4日生まれ)
冬は出費がかさむ・・・
だからと言ってクリスマスと誕生日を一緒にやるとか、正月と誕生日をくっつける様な事はしない。
誰もクリスマスと正月を一緒にやらないのと同じだ。
イベントの数だけ子供から笑顔が貰えるのだから。

『ケータイで撮った後にフォトショップでソフトをかけてみた』

2010年12月23日木曜日

光合成


窓から差し込む光は壁に影を落とす。
時にそれは芸術を生み、時にそれは怪物を生む。
光の幻影は人々の想像力を餌に巨大に育って行く。
写真として絵画として物語として・・・
太陽の輝きはもはやただの光では無く、限りなく神に近い存在なのかも知れない。
全ての生き物がその恩恵を受けてこの星の上に立っている。
光は誰にも平等に降り注ぎ、闇もまた平等にやって来る。
人は一人でも生きて行けるが、日の光なしには生きられない。
我々生き物は地球の上で光合成をする一つの細胞に過ぎないのだ。
ただ近くにお気に入りの細胞がいれば頑張ってたくさん光合成もするし、激しく動き回ったりもする、とても単純な細胞だ。
クリスマスの夜に一人きりで過ごす人もいるだろう。
除夜の鐘を聞かずに一人眠る人もいるだろう。
お正月の朝を誰とも言葉を交わさずに過ごす人もいるだろう。
きっと役割があるのだ。
一つ一つの細胞に役割がある様に。
僕は信じたい、全ての事象に意味がある事を。

『どちらもケータイのオートで撮っただけ』

2010年12月22日水曜日

6000年

もうすぐクリスマス。
年に一度サンタクロースが死に物狂いで働く日がやって来る。
現在の世界人口は69億人。
その中の子供が占める割合は想像もつかないが、10億人は下らないだろう。
364日遊んで1日だけ働く夢の様な仕事だが、1日で10億以上のプレゼントを渡すのは凡人には不可能だ。
そうゆう意味でもサンタさんは特別な存在なのだろう。
もしこれがサンタクロースでは無く、チンギス・ハーンだったら
きっとクリスマスはこんなに華やかにはならなかっただろうし、
プレゼント交換の習慣も無かったかも知れない。
多少商業ベースに乗ってる感はあるが、それも含めてクリスマスは楽しいのだ。
体に悪いと知っていながらつい飲んでしまうコーラの様に。
余談だが過去6000年に存在した全ての人口のおよそ5分の1が現在の人口らしい。
このまま行くと・・・

『ビルのネオンを撮ろうとしたらコカコーラ車が来たのですかさず撮影
 +αを常に求めたい』

2010年12月19日日曜日

革命(戦闘機)

子供によくおやつをくれる家。
居心地がいいのか最近猫が住み着いた。
うちの近所には猫がいっぱいいる。
砂場には猫のうんちもいっぱいある。
たまに玄関のドアにマーキングされる。
そいつが頭に来るかやれやれと思うかで、
人の器の大きさが決まると猫好きは考える。
撃退するのは簡単なのだろうが、人はそこまで傲慢になってはいけない。
あらゆる事に謙虚になるべきだ。
働く事に、食べる事に、寝る事に、笑う事に、生きる事に、愛する事に、
あらゆる事に謙虚であるべきだ。
そうでなければこの世はいがみ合いや争いだらけの世界になってしまう。
そんな世界に子供を住まわせたいだろうか?
自分の子を愚かな人間にしたいだろうか?
そんな人達と自分は一緒に暮らせるか?
そんな世界はぜったい嫌だと思うが、
悲しい事に現実は理想とほど遠い。
だから、猫を撃退してはいけないのだ。
ひとりから始まる革命もある。

『人の家を撮る時は細心の注意が必要、通報されない様に』

2010年12月17日金曜日

冬将軍



冬将軍がやって来た。
手下の氷六角坊と霜男爵に戦闘員の怪人霜柱たちを引き連れて。
将軍の凄いところは皆が寝てる間に侵略を終わらせるところだ。
誰にも悟られる事無く静かにそして確実に仕事をこなして行く。
職人の鏡だ。
さらに凄いのは冬将軍を嫌っている人が少ない事だ。
むしろ子供達には大人気でさえある。
世の戦争もこうであって欲しいと思う。
皆が平和でハッピーになれる、そんな侵略なら大歓迎だ。
みんな冬将軍を見習うべきなのだ。

『三枚ともケータイのマクロモードで撮影、ピントさえ合っていれば何とかなる』

2010年12月16日木曜日

ハードボイルド

60件。
この数が多いか少ないかは主観によるところだが、
去年の6月4日から今年の11月4日の17ヶ月間に学区内で目撃された不審者の数だ。
登校日のみの情報なので計算すると274日に60件。
一週間に1件の割合になる。
毎週必ず不審者が学校の近くに出没するとゆうのは、果たして安全な世の中と言えるのだろうか?
世の親はよく平気で子供を一人にさせるなと思う。
何がどう転がって事件になるか分からない。
もしかすると桜の木の下に誰かが埋められているなんて事もあるかも知れない。
排除出来る危険ならば排除した方がいいと思うのは僕だけなのか、
他所の子供達は今日も自分の身は自分で守るタフな生き方をしている。
子供にハードボイルドはまだ早い。

『苔が奇麗だった、そこを目立たせたかった』

2010年12月15日水曜日

キャプテンフューチャー

この空は宇宙につながっている。
こうゆう空を見るとそう思える。
お金さえあれば宇宙に行ける時代になった。
まさに金で夢を買う世の中だ。
でもロケットで大気圏を突破しなくても、
音速を超える戦闘機で成層圏に上がらなくても、
僕たちはいつでも宇宙を感じる事が出来る。
銀河系最大の科学者であり冒険家のカーティス・ニュートンも言っている、
「子供の頃は空を飛べたよ
草に寝転び心の翼広げ何処へだって行けた僕だった
君を愛した時忘れてた翼がもう一度夢の空飛ぶ事を教えた
どっちを向いても宇宙 どっちを向いても未来
どこまで行っても宇宙 どこまで行っても未来」
光すら歪む果てしなき宇宙へ、愛機コメットを駆るこの男。
人は彼をキャプテン・フューチャーと呼ぶ。

『例の如くオートでパシャ』

2010年12月12日日曜日

ジャンケン

桃栗三年柿八年。
長野に実家があり、昔から栗羊羹と言えば栗100%のものを食べて来た僕としては多少なりとも栗に親しみは持っていたが、ここで更に栗に近づくとは思わなかった。
近所には柿の木も沢山あって、自然がいっぱいだ。
桃もあれば良かったのにと思う。
家の庭にも柿を植えようかという話も出たが、種から植える柿は必ず渋柿になるのと、柿が好きなのは僕だけだと言う事もありあっけなく却下された。
多数決は嫌いだ。
必ず僕が負ける。
そんな時はジャンケンに限る。
おすすめは「わがままジャンケン」だ。
例え負けても屁理屈で勝ちをもぎ取れる力技なのだが、
あまり多用すると子供に嫌われるので注意が必要。

『木の影と落ち葉を多めに入れて秋らしさを出してみた』

2010年12月11日土曜日

レイリー散乱

夏っぽい秋。
空気が澄んでいるので青が奇麗だ。
何故空は青いのか?
素朴な疑問だが答えられる人は少ない。
実際に空が青い理由をちゃんと説明しようとすると、とんでもない事になる。
よけいに分からなくなる。
レイリー散乱(Rayleigh scattering)(レイリー卿ジョン・ウィリアム・ストラットにちなむ)は、波長よりも小さいサイズの粒子による光の散乱である。透明液体や固体中でも起きるが、典型的な現象は気体中の散乱であり、太陽光が大気で散乱されて、空が青くみえるのはレイリー散乱による。

散乱の量は粒子の大きさと光の波長による。散乱係数は波長の4乗に反比例する。

レイリー散乱の散乱係数ks は下式のようになる。

 k_s = \frac {2 \pi^5} {3} n  \left( \frac {m^2 - 1} {m^2 + 2} \right)^2 \frac {d^6} {\lambda^4}
nは粒子数
dは粒子径
mは反射係数
λは波長

これから波長の短い青は赤よりも多く散乱される。「夕焼け」・「朝焼け」は太陽と観測者の間に大気の存在する距離が日中と比べて長くなり、散乱を受けにくい赤色が届くことによる。一方で、日中には波長が短い青が観測者の方に散乱されることにより、空全体が青く見える。

光の波長と同程度以上のサイズの粒子(散乱体)による光散乱は粒子を球形と仮定した場合ミー散乱理論で扱われる。

光学計測にも用いられ、特徴としては、信号強度が分子数密度に比例し、分光法より高強度であることが挙げられる。トレーサとしては散乱断面積の大きい物質が用いられる。

散乱係数の波長と散乱粒子の大きさに関わるパラメータとしてサイズパラメータ

 \alpha = \frac {\pi D} {\lambda}
D:粒子直径
λ:波長

があり、

 \alpha \ll 1 はレイリー散乱、
 \alpha \approx 1 ミー散乱
 \alpha \gg 1  は幾何光学近似で表現できる。」    何のこっちゃ??
結論、空が青いのはその方が奇麗だから。

『計算で写真を撮るのもいいが、直感を信じるのもあり』

2010年12月10日金曜日

電車

子供が風邪をひいた。
咳がひどかったので病院へ行ったのだが、その途中突然「カメラ貸して」と言うのでケータイを渡したところ駅の渡り廊下から写真を撮り始めた。
ガラスに埋め込まれた針金をちゃんとよけて撮っている。
それがこの一枚だ。
電車もセンターに来ているし平行も合っている。
秋になると突然増える自称プロのアルバイトカメラマンより、よほど上手いなぁと親バカな事を思ってしまう。
普段から僕が写真を撮ったり、妻が絵を描いたりするのでうちの子の中では写真や絵が身近になっている。
環境が才能を育むと言うのはきっとこうゆう事なのだろう。
− 撮影後に一言、「こう撮らなくちゃ」−
全く誰に似たのやら・・・

『人が撮ったものを批評していいのは、自分も批評される覚悟があるものだけだ』

2010年12月9日木曜日

川の流れのように

水の流れは止まる事を知らない。
川の流れ、海の波、雨の雫、落ちる涙。
かたちを変えながら水はどこまでも進んで行く。
人もそうありたい。
流動 的でありながら前へ前へと歩みを止めない。
そうありたいと思う。
静止している様に見える海もやっぱりゆっくり動いていて、
知らない砂浜へと確かにボトルを届けるのだ。
まだ見ぬ誰かに想いを伝える為に、今日も水は流れる。
そして僕は写真を撮る。
ちなみに上の草原スペースではカモが昼寝をしたり、
たまに下校中の子供が体を鍛えている。

『川を撮る時は光を入れると雰囲気が出る』

2010年12月8日水曜日

トムとジェリー


追うと逃げるもの。
泥棒と警察、ネズミと猫、ボールと犬、金と人、アイドルとファン、男と女。
追うから逃げるのか、逃げるから追うのか。
実は大概のものは追わなくても手に入る。
きっと手に入れるのが目的ではなく、追う過程を楽しんでいるのだ。
逃げて追って絆は深まって行く。
この二人もそうやって大切なものを暖めて行くのだろう。
トムとジェリーの様に。

『個人的にはB/Wが好き、アマチュアならそれでいいが、
 プロとして求められるのはクライアントの好み』

2010年12月5日日曜日

朽葉色

エノコログサ。
もともと犬の尻尾に似ている事から、犬っころ草と呼ばれていたものが訛ってエノコログサになったらしい。
今では猫じゃらしとして定着している感がある。
つまり犬より猫が強いと言う事だ。
不思議な事に名前はいろいろ変化して行くのに、それ自体は何ら変わる事無く存在し続ける。
本人にしてみれば呼び名などどうでも良く、ただそこにいる事が大事なのかも知れない。
回りの目を気にしない強さが雑草にはある。
実はアワやキビはエノコログサの変異体であるらしい。
今では食用としては認識されていないが、粟の原種であるので食べられるのだ。
若い葉と花穂は軽く火であぶり醤油などで味付けしたり、天ぷらにしたり。
味はポップコーンに似ているとか。
ただし終戦直後大量に食べて中毒を起こした人がいるので食べ過ぎには注意。
農村では酷い飢饉の際にカラスムギなどと共にこれを食用したこともあった。
オオエノコロは粟の遺伝子が流入しているので食べやすい。
また、猫じゃらしの名の通り、これを用いてじゃらすことができる。
朽葉色の猫じゃらしを見ると秋を実感する。

『風に揺れる猫じゃらしをケータイで撮るのは大変、
 是非マスターしてもらいたい、撮影の幅が広がる筈』

2010年12月4日土曜日

近所のアイドルふーちゃん。
何をしても怒らない温和な猫だ。
名前を呼べば喉をゴロゴロ鳴らしながらやって来る。
名前を呼ばなくてもニャーニャー言いながらやって来る。
動物が苦手なうちの子もふーちゃんだけは特別だ。
怒らない事が分かってるから安心していじくっている。
逆撫でしたり、しっぽを持ったり、お腹を抱えたり。
それでもゴロゴロ言い続けるふーちゃんは本当に偉大な猫だ。
でも、どうやらふーちゃんには裏の顔があるらしい。
近所一帯の猫を束ねるボスらしいのだ。
ふーちゃんを見ると、本当に強いものは何があっても動じないのだと改めて思う。
まさに男の中の男、ボスふー。
今日も喉を鳴らしながらシマの見回りに行く。

『写メをフィルムっぽくしてみた、どう処理するかで違う絵になる』

2010年12月3日金曜日

Q10


ドラマのQ10がいい。
前田敦子には興味なかったが電王がらみで佐藤健が気になってドラマを見出したらハマった。
セリフといい動きといいロボットのQ10が妙に可愛い。
見た事の無い人は是非DVDで見て欲しい。
内容も結構奥深いものになっていて、ただのアイドルドラマではないのだ。
主人公が鉄塔好きと言う事で撮ってみた。
今まで鉄塔に興味は無かったが、撮ってみると何気に難しい。
次はもう少し時間をかけて撮ってみたい。
「行き場の無くなったサヨナラはどこへ行くのカナ?」


『カラーで撮ったものをセピアにしてみる、まるで違うイメージだ』

2010年12月2日木曜日

クリスマス

AM6:30
朝起きると空が奇麗だったのでベッドルームの窓から撮影。
太陽はまだ山の向こう。
淡いブルーの空に綿菓子が浮かんでいるようだ。
こうゆう風景を毎日見られるのは田舎の特権だ。
通勤は大変だが、きっと僕は都会には住めないだろう。
歩いていても楽しくないし発見も驚きも感じない。
クリスマスの時期は確かに街並もライトアップされて奇麗なんだけど、
それでも漆黒の闇に浮かぶ天の川の輝きにはかなわない。
一面の銀世界に足跡を残すウサギの可愛さにはかなわない。
だからといって北海道に住みたいとも思わないが・・・
めまぐるしく変わる街の景色とイルミネーションを眺めながら、
家に帰って子供の寝顔を見てほっとする。
そんな生活を今は楽しみたい。

『空は撮るのが楽だから好き』

2010年12月1日水曜日

ポストカード


うちには時々モンスターが現れる。
今日はミイラ男が出た。
こんなに可愛いミイラ男ならいつでも大歓迎、と言う訳にもいかない。
トイレットペーパーを1ロール使うからだ。
この大量の紙は様々な経路を経て和紙に姿を変えポストカードに変身する。
運が良ければ子供から手作り絵はがきが貰える。
運が良ければだ。
いつかこの子が大人になり自分の子供から手作りのプレゼントをもらった時に気付くだろう。
この一枚の絵の重みを。

『ケータイで逆光は難しい、露出補正が必要だ』

2010年11月28日日曜日

猪。
に見えなくもない。
猪年も後わずかなので暖かく見送ってあげよう。
これを夜見たらきっと、おっこと主に見えるかも知れない。
妖怪とかお化けとか神様はこうやって生まれて来るのだろう。
まぁ本物も何処かにはいるだろうけど、たぶん大人には見えない。
心が純粋じゃないから。
汚れたものはよく見えるのに奇麗なものはなかなか見えない。
人の欠点は目立つが良い所は気付きづらい。
僕は人に会う時その人の良い所を先ず探す様にしている。
どんなことでも構わない、爪が奇麗とか声が素敵とか笑顔が可愛いとか。
人に好かれるにはまずその人を好きにならないといけない。
よく言われるが僕は紙一重だそうだ。
言ってはいけないことを平気で口にする。らしい。
きっとその人の事が好きだから僕的には平気なんだと思う。
でも、これからは少しだけ気を付けよう。
もう大人だし、猪を笑って送れる様に。
猪は死んだ父の生まれ年でもあるから。

『JPGで撮ると軽いが後処理の幅が狭くなる、つまりシビアな撮影を求められる
 RAWで撮ると重いが後処理で何でも出来る、つまりテキトーに撮影出来るのだ』

2010年11月27日土曜日

悪夢

うちの子はとにかく乗り物に弱い。
僕もそうだった。
電車だろうが車だろうがバイクだろうが、とにかく乗り物は全てダメだった。
大人になった今でも苦手だ。
時々自分の運転する車で酔ってしまう。
うちの子も同じ運命なのかと思うと申し訳ない。
結論から言えば乗り物酔いは直る事は無く、慣れるしかない。
人生は不公平に出来ているのだ。
僕の歩いて来た道をこの子も歩いて行くのか・・・
本当に申し訳ない。
修学旅行が楽しいと思った事は一度も無かった。
自分が一番嫌いなものや苦手なものと2,3日同じ部屋に閉じ込められ
泣こうが叫ぼうが出してもらえない。
そんな状況に似ている。
楽しい筈が無い。
普通の親ならそれでも思い出だからと行かせるのだろう。
残念ながら悪夢の日々を思い出とは言わない。
修学旅行なんて行かなくていい、そう思う。
きっと同じ道を歩いている者にしか見えない景色なんだろう。

『顔を隠すタオル、タオルに掛かった親指、可愛い口元、
 最小限のものが写っていればそれでいい』

2010年11月26日金曜日

光トカゲ

何かがいる。
穴の中にきっと何かがいる。
子供の頃はもっと世界はキラキラしてて、いろんな事を想像してた。
木のウロ一つで半日は遊んでいられた。
大人になった今はどうだろう?
いつの間にか見えなくなったものがいっぱいある。
指の隙間からこぼれ落ちる砂の様に、どんどん無くなって行くものがある。
それを一生懸命すくう小さな手。
その手に日々救われる。
決して全てを拾えるわけではない。
ご飯はこぼすのに、それでも一番大切なものはちゃんと拾ってくれる。
泣きながら、笑いながら、怒りながら、
小さな手でこの子はちゃんと大事なものはこぼさずに拾ってくれる。
人を彩る光の部分と影の部分。
きっと子供には光の部分しかまだ無く、光を無くした分を補う為に影が出来るのだろう。
この子の光をすくって行きたい。

『写真とは光と影で出来ている』

2010年11月25日木曜日

親バカ

7歳の子供が一生懸命作ったお弁当。
粘土で出来ている為残念ながら食べられない。
もしかするとこの子は天才かも知れないと思う事がよくある。
一度聞いただけのクラシック音楽を口ずさんだり、味のある絵を描いたり。
きっと沢山の親が同じ様に我が子を天才だと思っている事だろう。
とてもいい事だ。
才能は生まれつき備わっているのでは無く、環境により身に付くものだ。
いろんな可能性を与えたいと思う。
その為の親なのかも知れない。
親バカの皆に一言。
「親バカじゃない親はただのバカだ」

『実は複写が一番難しい、釣りで言うとハゼの様なものだ
 言葉だけで教えるのは不可能な程に奥深い』

2010年11月23日火曜日

カワセミ

子供の通学路には小川がある。
大雨や台風の日は心配だが子供達にはいい環境だ。
カモやコイやザリガニなんかがいる。
見た事は無いがモグラも沢山いるらしい。
猫もいる。
この前カワセミも見かけた。
あの色の美しさはちょっとした感動だ。
僕の実家は長野だが、東京の方が自然がいっぱいある様に思う。
少なくとも長野でカワセミを見た事は無い。
ネズミを捕まえる鳶や大蛇は見た事あるけど。
何にしても子供を育てるなら自然の中に限る。

『風景写真を撮るなら朝か夕方、光が奇麗なのだ』

2010年11月21日日曜日

シェイクスピア

朝日と夕日。
すっかり日が短くなり、子供と一緒に家を出る時ちょうど山から朝日が昇る。
そして恵比寿のオフィスで夕日を迎える。
家に帰る頃には空は満天の星だ。
山と街との往復で一番困るのは服装だ。
朝と夜は寒く昼は暖かい。
基本よけいな荷物を持つのが嫌いな性格なのでなるべく着たままにしたい。
寒さか暑さか・・・
どちらに合わせるか、それが問題だ。
僕の一日はこの問答で始まる。

『どちらも撮り方は同じ、空にピントと露出を合わせて押すだけ』

2010年11月20日土曜日

ドラゴン

井戸ポンプのある風景。
子供の通学路に井戸がある。
もう見慣れた風景だが、そのノスタルジックな佇まいと止まる事の無い水の流れに最初は心躍った。
このタイプを川本ポンプでは「ドラゴン」と呼ぶ。
「ガチャポン」の名で慣れ親しんでいる人も多いかと思う。
ここは水が垂れ流し状態なので、銀杏を洗う人や洗車する人、ペットボトルに水を組んでいく人と様々な人がやって来る。
マナーも問われる所だが今回はそこには触れない。
何にしても井戸が生活の一部になっている街、ここは東京。

『何気ない日常も視点を変えると違うものが見えて来る、被写体選びも大切』

2010年11月19日金曜日

哲学

砂、土、大地、惑星、宇宙。
もっと細かく言えば、分子、原子、電子。
この世界は夢と絶望と傲慢と犠牲とほんの一握りの原子で出来ている。
どれか一つだけ多くなる事も無く、古い秤の用にバランスを保っている。
種が芽を出し、やがて木が育ち朽ちて行く様に。
僕らもまた大きな輪の中に無造作に転がっているただの石ころだ。
削れて光る石もあれば、砕けて消える石もある。
与えられた自由はどう転がるかだけ。
派手に転げてすぐ砂になるか、静かに転がり球になるか。
正解の無い問答をただ繰り返す歴史に終止符は打たれるのだろうか?
そもそもこの世界は実在しているのか。
誰かの作った物語ではないのか。
それとも蝶の見ている夢か。
秋の散策は何気ない日常を少しだけ哲学的にしてくれる。

『陰影を捉えてみる、いつもと違うものが見えて来るかも知れない』

2010年11月18日木曜日

KISS

何気なくテレビを見ていたら、
キスの誘い方で乙女力を競うみたいな事をやっていた。
おじさんにはよく解らなかったのだが、そもそもそれには言葉が必要なものなのか?
ドラマや映画では状況を説明する為にセリフが必要かも知れない。
でも実際にそんなキスをしている人がいるのかちょっと疑問だ。
まぁどうでもいい事なんだが・・・
ちなみに1位の回答は
「本当にレモンの味がどうか確かめよう」みたいな感じだった。
結論を言えば可愛い子は何を言っても可愛いという事だ。

『キスと言えばシルエットor B&W、そう決めている』

2010年11月17日水曜日

写真

写真をまじめに考えてみる。
夕日が奇麗でいつもの様にケータイで撮影した。
しかしあまりにも奇麗だったので珍しく35mmでも撮ってみた。
上がケータイで下が一眼。
大きく引き延ばしたら違うだろうがL版程度なら写メで十分だと証明された様な気がする。

技術的な事はいろいろあるかも知れない。
が、感性を重視するならケータイカメラがお手軽でいい。
僕はそう思う。
大事な事は何であれ撮る事。
風景、子供、ペット、自分、虫 etc
撮る事の楽しさを携帯電話と言う便利な機械は再認識させてくれる気がした。
ちなみにこの夕日はエスマーレの事務所の窓から仕事中に撮ったもの。

2010年11月14日日曜日

風の谷

今年も杉花粉が凄いらしい。
毎年聞いている様な気がする。
不思議なのは、一番花粉が多い筈の山ではそんなに苦しくない事だ。
むしろ楽だった。
いつもマスクを手放さない僕がマスクなしでも平気だった。
そう言えば、日本よりも杉が多いカナダでは誰も花粉症になんてなっていない。
風の谷の誰かが言っていた「汚れているのは土なんです」と。
同じ植物の花粉が国によってパワーが変わるとは考えにくい。
きっと空気が違うんだ。
排気ガスやホルムアルデヒド、コンクリートの粉塵に訳の分からない科学物質。
あらゆるものが人の身体を蝕んで行く。
引き金として杉が選ばれ、皆から嫌われる役を担っている。
長生きしたければ日本に住んじゃ行けないのかも知れない。

『木を撮る時のポイントは緑の濃淡』

2010年11月12日金曜日

我が子

千と千尋の神隠し風?
うちの妻がこの写真を見てそう言った。
やはり人それぞれだなーと思う。
写真のいい所は人によって見え方が違う所だ。
写真はどんどん一人歩きして行く。
どこへ出しても自慢出来る子に育って欲しいものだ。
携帯で撮った写真と言えど手は抜けないという事かも知れない。
実際撮る時には何も考えていないが、それは実際の子供も一緒。
撮りたいから撮る、それだけ。

『欲望の侭に、撮りたいものをひたすら撮る、そんな旅もたまにはあり』

2010年11月11日木曜日

鼻水龍

竜に見えなくもない。
生き物に見える写真や生き物が出てきそうな写真が好きだ。
全くの自己満足だがつい撮ってしまう。
子供曰く「鼻水が出てる〜、鼻水ドラゴン」だそうだ。
そう見えなくもない。
ものの見方は人それぞれ、自分流に楽しめばいいと思う。
なんだってそうだ。
趣味だって、ファッションだって、人生だって。
皆で右へ習えの服装じゃ誰が誰だか分からない。
そんな世界より、鼻水ドラゴンのいる世界の方がはるかに楽しそうだ。

『大概のものは逆光気味に撮ると綺麗に写る』

2010年11月10日水曜日

パワースポット

子供が風邪を引いた。
咳がひどかったので学校を休ませたが、何故か僕より元気だ。
でも他の子にうつしたら悪いし・・・
どうして子供はこんなに元気なんだろう?
まさに命の塊だという気がする。
そんなパワーに触れているとほんの少しだけ生きる力を分けてもらえる。
パワースポットなど比では無い。
もっとみんな真剣に子供と遊べば元気な日本になるのに。

『山へ撮影に行くのもいいが、ベランダの植木鉢を奇麗に撮る方が難しい』

2010年11月8日月曜日

クマムシ

紅葉が始まった。
今年は少し遅い気がする。
緑の木々に混じって赤や黄色が広がって行く様は見事としか言いようが無い。
そもそも紅葉とは何だろう?
紅葉のメカニズムは科学的に説明出来るが、何故紅葉するのかは不明らしい。
世の中そういった事がやたら多い。
仕組みは分かるが理由は分からない。
大事なのは理由ではないだろうか。
紅葉のメカニズムよりも、何故紅葉するのかを探る方がワクワクする。
クマムシが真空で生きられる仕組みや焼かれて死なない仕組みよりも、
真空で生きる事の意味や何故そんなにタフなのかを探求する方が神秘的だ。
写真もこう光を当てればこう撮れる、よりも
この写真は誰の為のものなのか、その人は何を望んでいるのか、
そこを考える事の方がはるかに大事な気がする。

『コンパクトデジタルカメラ=コンデジのオートでパシャ』

2010年11月7日日曜日

シュレディンガーの猫

先日二度目の高尾に挑戦。
今度は家族三人で登った。
と言ってもリフトを使ったが・・・
相当楽だったが、何か違う。
歩いて登ったときの方が100倍疲れたが100倍ワクワクした。
自分の目で見て、手で触れ、足で歩く。
基本に忠実なものだけが真実を手に入れられるのかも知れない。
自分はどうだろう?
もう少しで手が届きそうなものは、いくつかある様な気がする。
気のせいかも知れない。
きっと大切なのは思い込みだ。
思い込みの力が自分をより高みへと引き上げてくれる。
そして真実を見る事が出来るのだ。
とりあえずシュレディンガーの猫が元気か調べに行こう。

『これがシルエットの黒』

2010年11月6日土曜日

アルバイト

このレストランで二人は出会った。
キッチンとホール、アルバイトだった。
数ある式場の中から二人はこの場所を選ぶ。
結婚するときはやはり原点に返るものなのかも知れない。

『シルエットには三段階ある、完全な黒、うっすら見えるこげ茶、
 はっきり見えるグレイ』

2010年11月5日金曜日

自転車

ケベックにあるノートルダム大聖堂。
是非一度行って欲しい。
ノートルダムもそうだが、ケベックは明らかに日本と時間の流れ方が違う。
南の島もいいが、秋はケベックだろう。
パンケーキにたっぷりのメイプルシロップをかけワインで流し込む、そんな朝食があってもいい。石畳の路地に所狭しと並ぶ絵の中からゆっくり時間をかけてお気に入りの一枚を探す、そんな一日もいい。
いつも思うのだが日本人の旅行はどこか新幹線に似ている。
目的地までノンストップだ。
たまには自分の足で自転車を走らせ風を感じる旅もいいのではないだろうか。

『35mm,ISO100フィルムで撮影(F11,10秒ぐらい)。
 手焼きする時にペーパーを傾けてパースを補正した。
 スナップ感を出す為に敢えて微妙に傾けてみる。
 古いフィルムカメラでもちゃんとプリントすれば結構キレイ。』