便宜的によく「良い写真」とゆう言葉を使う
実は写真に良いも悪いも無い
好きと嫌いがあるだけだ
それは人も同じだと思う
人に良い人も悪い人も無い
性格が良いとか悪いとか
優しいとか残酷だとか
頭が良いとか悪いとか
善人だとか悪人だとか
そんなものは幻想だ
善悪など立場や目線によっていくらでも変わる
良い人になる瞬間もあれば悪人になる瞬間もある
確かなのは自分がその人をどう思うかだ
結局世の中には好きか嫌いかどうでもいいかの3種類の人間しかいない
孤独な老人に言葉巧みに近づいてお金をだまし取る詐欺師も
確かに法は犯しているかもしれないが
もしかしたら孤独な老人はそれでも幸せかもしれない
そんなものは本人にしか分からない事なのだ
この前撮影に行った教会で新郎新婦の目の前で怒鳴り散らすおばさんがいた
実はその類いの人は多いのだが
晴れの結婚式にそれはどうかと思う
改めてそうゆう人を見ると心から思う
気持ちの良い人でありたいと
「好き」「嫌い」「どうでもいい」の一つ手前
善人か悪人かは分からないが
「気持ちの良い人」「不快な人」の判断は子供でもつく
あのおばさんは間違いなく100人にとって不快な人だろう
気を付けようと思う
写真も同じなのかもしれない
気持ちの良い写真を目指したい
『太陽があって初めてこの写真は成立する、順光よりも逆光』
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