2011年3月6日日曜日

二兎


改めて写真について考えてみた。
上の二枚は同じ写真を加工したものだ。
もはや別物だ。
同じ一枚だったのに処理の違いで別の二枚になる。
これは写真なのだろうか?
写真をベースにしたコンピュータグラフィックまたは絵ではないだろうか?
そんな疑問がいつも付いてまわる。
特にピュアなフィルム写真にこだわっている訳ではないが、デジタル化してから写真の定義も変わりつつあるのかも知れない。
ただ撮るだけでなく、その後の処理もフォトグラファーに問われる時代なのだ。
イメージの振り幅が大きくなった分撮影時の絶対値が下がった様に思う。
時代の流れと言われればそれまでだが、そこは敢えて反抗したい。
イメージの変革も受け入れるし撮影のクオリティーも下げない。
二兎を追って三兎得る。
そんなプロでありたい。

『EOS 5D Mark Ⅱ使用 70mm F3.5 1/125 ISO1250 』

2011年3月5日土曜日

限定品

雨が嫌いじゃない理由の一つ。
虹。
必ず見られる訳ではないが、雨が降らなければ決してみる事の出来ないもの。
たまに見るからありがたみのあるもの。
流れ星やレアカードの様なもの。
アイスの当たり的な。
きっと人は、そんな限定品に弱い生き物なのだ。

『これは一デジで撮影、過去にケータイで撮影したものもアップしてあるので
 見比べたい人はどうぞ』

2011年3月4日金曜日

つながり



いろんな空を比較してみる。
駅から見る空。
田舎の空。
都会の空。
雰囲気が伝わる様に手前にそれっぽいものも写し込んでみる。
不思議とどれもしっくりくる。
結局、
どこに立っていようと空は空、
全ては一つに繋がっているとゆう事。
この空は誰かの空に続いている。
気持ちもそうであって欲しいと思う。

『空を撮る時のテクニックの一つにシルエットがある』

2011年3月3日木曜日

雨

久しぶりの雨。
心が洗われる様だ。
雪もいいが、雨もいい。
もしかしたら前にも書いたかも知れないが、僕は雨を相当リスペクトしている。
最初にこの星に降った雨が全ての命の源なのだ。
命に敬意を払う様に雨にも敬意を払いたい。
傘など差すのはもってのほかだ。
と思いつつも大雨の時はつい差してしまう。
修行が必要だ。

『水たまりに写る空、鏡に映る花嫁、考え方は一緒だ』

2011年3月2日水曜日

ポートレート

こんな3人+1でやってます。
今日は4人で立ち上げた会社の設立記念日。
特に何もやらないけど1年経った事の意味は大きい。
先ずはありがとう。
僕たちを支えてくれる人達も支えてくれない人達も全てに感謝。
今ここにこうしてあるのは全てのしがらみのおかげなのです。
ありがとう

『写真は楽しんだ者勝ち』

2011年2月27日日曜日

スケープゴート

ヤギは古くから犠牲にささげる生贄として使われることが多い。
古代のユダヤ教では年に1度、2匹の牡ヤギを選び、くじを引いて1匹を生贄とし、もう1匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った(旧約聖書レビ記16章)。
贖罪山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。
特定の人間に問題の責任を負わせ犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現。
あまり知られていないが、実は山羊のミルクは牛乳よりも消化性に優れ、芳醇な風味もあるため、アレルギーのいかんにかかわらず好む人は多い。また、アトピーにも有効といわれている。
しかし残念ながら日本国内における生のヤギ乳の生産高は少ない。

『切り取り方は人それぞれ、納得しているのならそれでよし』

2011年2月26日土曜日

スピード

車中から見る風景は、まるで地球の早さに付いて来れない様な
置いてきぼりの子供の様な、そんな寂しさがある。
スーパーで母のコートの裾を掴み、ふと顔を上げると違うおばさんだった時の不安さにちょっと似ている。
はぐれたのは風景では無く自分の方かも知れない。
それでも時速300キロと言うスピードは全てを過去に変えていく。
刹那の間の中には考える時間も物思いに耽る時間も入り込む余地は無い。
便利になる事は何かを犠牲にする事なのかも知れない。
たまにはゆっくりと、自転車のスピードで春を探しに出かけてみよう。

『ケータイで狙って撮れるものではない』

2011年2月25日金曜日

パンドラの箱

雲は流れる
風に任せて空を流れる
舟は流れる
波に任せて海を流れる
人は流れる
夢に任せて現を流れる
愛は流れる
想に任せて心を流れる
星は流れる
刻に任せて虚を流れる
時は流れる
運に任せて命を流れる
全ての中心にあるもの
パンドラの箱から最後に出て来たもの
希望

『同じ空には二度と会えない、撮り続ける事の意味を考える』

2011年2月24日木曜日

宝島

お風呂の前は練り消しタイムだ。
いろいろな物を創っては戦わせている。
これは多分ロボットだ。
ロボットが好きらしい。
僕もかなり好きで大小合わせると100体ぐらい集めた。(もっといるかも)
飾る場所にいつも悩んでいる。
たまに子供にあげたりもする。
子供は僕の部屋が宝の島だと知っている。
事ある毎に宝探しをしようと言って来るが、それはやんわりと断っている。
同じ宝探しなら外でやった方がリアリティーがある。
ワンピースは家の中には絶対に無い筈だ。
そう言えばうちの子は昔から時々ドキッとする様なことを言う。
少しずつ紹介していこうと思う。
5歳の時の話
「お姉さんに遊んでもらったの〜良かったね」
「うん、ぼくと結婚するんだって」
「よかったね〜、でも彼女タバコ吸うけど平気?」
しばらく考え込む5歳児
「煙草を吸うとか吸わないとかそれは関係無いの、僕の好きになった人が僕の好きな人なんだから」
それを聞いてこの子はすごいなと思ったのを覚えている。

『窓際においてパシャ』

2011年2月23日水曜日

帰路

誰にでも戻るべき場所がある。
無いと思っているのは気付いていないだけだ。
失踪する人、蒸発する人、夜逃げする人、
いろんな理由で人はいなくなる。
戻る場所が変わったのかも知れない、
暗闇過ぎて戻り道が分からないのかも知れない、
誰かに邪魔をされ戻るに戻れないのかも知れない。
理想と現実は常に食い違う。
何かのせいにしたい時もある。
でも生きている以上全ては自分の責任なのだ。
誰も人生を取り戻してはくれない。
誰かが言っていた「雪が降っても自分の責任」
僕は幸せだ。
まだ見失わずに戻るべき場所を持っている。
誰にも戻るべき場所がある。

『おなじみの風景になりつつある日の出、瞬間の写真は奇麗だ』