2011年2月27日日曜日

スケープゴート

ヤギは古くから犠牲にささげる生贄として使われることが多い。
古代のユダヤ教では年に1度、2匹の牡ヤギを選び、くじを引いて1匹を生贄とし、もう1匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った(旧約聖書レビ記16章)。
贖罪山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。
特定の人間に問題の責任を負わせ犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現。
あまり知られていないが、実は山羊のミルクは牛乳よりも消化性に優れ、芳醇な風味もあるため、アレルギーのいかんにかかわらず好む人は多い。また、アトピーにも有効といわれている。
しかし残念ながら日本国内における生のヤギ乳の生産高は少ない。

『切り取り方は人それぞれ、納得しているのならそれでよし』

2011年2月26日土曜日

スピード

車中から見る風景は、まるで地球の早さに付いて来れない様な
置いてきぼりの子供の様な、そんな寂しさがある。
スーパーで母のコートの裾を掴み、ふと顔を上げると違うおばさんだった時の不安さにちょっと似ている。
はぐれたのは風景では無く自分の方かも知れない。
それでも時速300キロと言うスピードは全てを過去に変えていく。
刹那の間の中には考える時間も物思いに耽る時間も入り込む余地は無い。
便利になる事は何かを犠牲にする事なのかも知れない。
たまにはゆっくりと、自転車のスピードで春を探しに出かけてみよう。

『ケータイで狙って撮れるものではない』

2011年2月25日金曜日

パンドラの箱

雲は流れる
風に任せて空を流れる
舟は流れる
波に任せて海を流れる
人は流れる
夢に任せて現を流れる
愛は流れる
想に任せて心を流れる
星は流れる
刻に任せて虚を流れる
時は流れる
運に任せて命を流れる
全ての中心にあるもの
パンドラの箱から最後に出て来たもの
希望

『同じ空には二度と会えない、撮り続ける事の意味を考える』

2011年2月24日木曜日

宝島

お風呂の前は練り消しタイムだ。
いろいろな物を創っては戦わせている。
これは多分ロボットだ。
ロボットが好きらしい。
僕もかなり好きで大小合わせると100体ぐらい集めた。(もっといるかも)
飾る場所にいつも悩んでいる。
たまに子供にあげたりもする。
子供は僕の部屋が宝の島だと知っている。
事ある毎に宝探しをしようと言って来るが、それはやんわりと断っている。
同じ宝探しなら外でやった方がリアリティーがある。
ワンピースは家の中には絶対に無い筈だ。
そう言えばうちの子は昔から時々ドキッとする様なことを言う。
少しずつ紹介していこうと思う。
5歳の時の話
「お姉さんに遊んでもらったの〜良かったね」
「うん、ぼくと結婚するんだって」
「よかったね〜、でも彼女タバコ吸うけど平気?」
しばらく考え込む5歳児
「煙草を吸うとか吸わないとかそれは関係無いの、僕の好きになった人が僕の好きな人なんだから」
それを聞いてこの子はすごいなと思ったのを覚えている。

『窓際においてパシャ』

2011年2月23日水曜日

帰路

誰にでも戻るべき場所がある。
無いと思っているのは気付いていないだけだ。
失踪する人、蒸発する人、夜逃げする人、
いろんな理由で人はいなくなる。
戻る場所が変わったのかも知れない、
暗闇過ぎて戻り道が分からないのかも知れない、
誰かに邪魔をされ戻るに戻れないのかも知れない。
理想と現実は常に食い違う。
何かのせいにしたい時もある。
でも生きている以上全ては自分の責任なのだ。
誰も人生を取り戻してはくれない。
誰かが言っていた「雪が降っても自分の責任」
僕は幸せだ。
まだ見失わずに戻るべき場所を持っている。
誰にも戻るべき場所がある。

『おなじみの風景になりつつある日の出、瞬間の写真は奇麗だ』

2011年2月20日日曜日

十人十色


庭に作った三号機。
どんどん痩せ細って行く。
恵みのはずの太陽と雨が彼の体を蝕んで行く。
どんなに素晴らしく良いものに思えても、
受け手次第でそれは善にも悪にも変わる。
押し付けてはいけないと言う事だ。
人が違えば立場が違う、立場が違えば考えが違う、考えが違えば生き方が違う
太陽が苦手で夜しか散歩出来ない人がいる。
音楽を不快に思う人がいる。
人が嫌いな人もいる。
自分がいいと思った事が必ずしも正解では無い。
三号機を見ていてそこに気付いた。
彼の人生も無駄ではなかったのだ。

『ケータイのいい所はやはりその携帯性だろう、
 いくら小さくてもデジカメを常に持ち歩くのは骨が折れる』

2011年2月19日土曜日

冒険


雪だるまは全部で3こ作った。
おかげで筋肉痛だ。
遊びでの筋肉痛は心地よい痛みだ。
鈍った体が少しだけシャープになった錯覚を味わえる。
僕は狭い所が嫌いだ。
だからジムで体を動かすのはうっとうしい。
まわりに汗だくの人がいるのも嫌だ。
正直閉鎖空間で体を動かす楽しさが分からない。
運動するなら空の下に限る。
ルールも無い方がいい。
雪合戦とかは最高だ。
山登りやサバイバルキャンプもいい。
もう少し暖かくなったらヘビ狩りに行こうと思う。
自転車で旅をするのも面白い。
とにかく冒険だ。
鏡の前では決して味わう事の出来ない何かが空の下にはあるはずなのだ。
雪が降ったら今度は雪だるまを5こ作ろう。

『太陽の下ではケータイの画面は何も見えなくなる、上の2枚も勘で撮った
 限界はとうに超えている感じだ』

2011年2月18日金曜日

白い世界



やっと雪が降った
都心は知らないがうちの近所は雪国の景色だ
やはり白はいい
白い世界は心が騒ぐ
あと20cm降っていたら会社を3日は休む所だった
雪だるまを作り、かまくらを作り、雪合戦をして、滑り台を作り
やる事はいっぱいだ
残念ながらこの雪はすぐ溶ける事になる
この世に永遠は無い
あるのは常にかたちを変え変化し続ける深緑色の何かだ
その正体を知っているから世界を白く染めたいのかも知れない
白銀の世界を見て少しでも罪悪感が消える夢を見ながら
海がもっと奇麗でマスクをしなくても春を迎えられ隣のベンチに座った誰かに笑いかけられる世の中だったらきっと雪は望まない
雪かきは腰にくる
一日でも早く子供が大人になる前に雪かきの無い世界を作りたいものだ

『最近は考えないで撮る様にしている、極めればきっとそっちの方が強い』

2011年2月17日木曜日

萌え

雨なのに晴れている
と言うのはツンデレにちょっと似ている
そのギャップに萌えるものなのかも知れない
泥棒なのに正義の味方だったり
メガネ委員長なのにドジだったり
検事なのに情にもろかったり
童顔なのにナイスバディーだったり
猫なのに従順だったり
皆そのギャップにやられるのだ
だったら売れる為にはギャップを作ればいい
会えるアイドルは大きな成功例の一つだ
しかし気を付ける点が一つある
プラスからマイナスに転じてはいけない
犬なのにわがままみたいなのは受け入れられない
さっきの例を反対にすると見えて来る
警察なのに悪者
メガネ委員長でしっかり者
弁護士なのにドライ
顔が峰不二子で体がジャイ子
一部のマニアには受けるかも知れないがそれまでだろう
マイナスからプラスもしくはプラスからプラス
これが勝利の方程式だ
ダメオヤジなのに写真が上手いのもギャップだろうか

『どうやって天気雨を表現しようか悩んだ、ガラスが一つの答え』

2011年2月16日水曜日

-Z-

人の意識の源には戦いを好む癖があるのか
-Z- それは刻の雄叫びだ
こんな感じで始まる物語がかつてあった
いい時代だったとも言えるし、今がいい時代だとも言える
大切なのは今を見据える力
地球の重力に魂を縛られてなお前を向こうともがきあがく力
忘れてはならない魂の叫びを、刻の涙を
そしていつか伝えよう自分の運命から逃げなかった戦う者達の物語を

『欲しいのは空の色』

2011年2月13日日曜日

進化(T-REX)

インフルエンザの永い眠りから覚めると家の中に巨大なティラノがいた。
最近の我が子の流行だ。
昔は小さい恐竜一つ作るのに失敗しながら文句たれたれだったけど、
今は1メートルくらいのT-REXをチョチョイと作ってしまう。
成長したものだ。
今度は駐車場に秘密基地を作るらしい。
楽しみだ。
ちなみに昔から恐竜は鳥に進化したと言われて来たが決定的な証拠が無かった。
それがこの度見つかったらしい。
科学的にも証明された事になる。
恐竜は鳥に進化したと大声で言っても良くなったのだ。
その証拠と言うのは何でも卵の中で体を生成する際に出来る手の骨だとか、
何にしてもご苦労様である。
地道な夢のある仕事に乾杯。

『大きいものを手前に置きピンを合わせる』

2011年2月12日土曜日

天気

雪だるまはまだ作れない。
頑張れ空!
電車を止めてもいいからもっと降れ。
僕はかなり自分勝手に考える。
天変地異で家に帰れなくなるなんて、考えただけでワクワクする。
そうゆう経験が人を強くする。
大地震の様に人が死ぬのは嫌だが、大雪で交通機関が麻痺するぐらいなら個人的にはOKだ。
常に人は試されている。
強くある為に、優しくある為に人は常に試されている。
頑張れ空。
頑張れ人。

『空き地の雪を通り過ぎざまに撮影、気を付けたのは雪と地面以外のものが入らない事』

2011年2月11日金曜日

雪だるま

雪が降る。
しんしんと雪が降る。
全てを包み込む様に雪が降る。
このまま世界を白い布で覆い隠してしまえ。
次に布が剥がされる時に少しでも綺麗になれる様に。
雪が溶けて春が来る頃、少しでも奇麗な水で桜が咲きます様に。
心が奇麗じゃない大人はこんな事を思ってしまう。
心が奇麗な子供は単純にどうやって雪だるまを作ろうかを考えるだろう。
きっと単純がいい。
世界は単純な方が上手く行く。
そんな気がする。
先ずは、雪が降ったら雪だるまの事を考える様にしよう。

『ケータイは動きの鈍いものが多い、きっと人を撮るには適していない』

2011年2月10日木曜日

3分の1

インフルエンザで一週間寝込んでしまった。
運が良いのか悪いのか、そうゆう時に限って仕事が入っていないものだ。
おかげでゆっくり治す事が出来た。
仲間と会社に感謝。
そしてまたエンジン点火だ。
次は目的地までノンストップで行きたい。
ちなみに今流行っているインフルエンザは三種類、一つかかったからと言って油断は出来ない、第二第三の刺客が待ち構えているのだ。
他の人より3分の1かかりづらくなっただけの事だ。

『普段と違うものはとりあえず撮っておく』

2011年2月3日木曜日

最近あったかい。
このまま春になるのか、それとも一度くらい雪が降るのか。
何はともあれ今日は節分。
今年の恵方は南南東。
恵方とは歳徳神(としとくじん)と言うその年の福徳を司る神様がいる方角だ。
毎年違う。
ちなみに来年は北北西だ。
最近は恵方にちなんだ恵方巻も登場して、豆まきと合わせて節分も忙しくなった。
うちでは子供が鬼の役だ。
妻が鬼の面を作る。
怖くしない所がみそだ。
大人二人で子供に豆をぶつけるのだが、可哀想に思い鬼役を変わろうとすると怒るのだ。
理由は豆にある。
飛んで来た豆を片っ端から拾いポケットに突っ込む。
そして、こぼれ落ちそうな豆を幸せそうに食べる。
ちょっと違う気もするが、まぁハッピーならそれでいい。
今年の恵方巻は太巻きでは無くエクレアにした。
ハッピーならそれでいいのだ。

『最近ドコモから電話付きカメラが発売された。auからも出して欲しい』