2010年11月28日日曜日

猪。
に見えなくもない。
猪年も後わずかなので暖かく見送ってあげよう。
これを夜見たらきっと、おっこと主に見えるかも知れない。
妖怪とかお化けとか神様はこうやって生まれて来るのだろう。
まぁ本物も何処かにはいるだろうけど、たぶん大人には見えない。
心が純粋じゃないから。
汚れたものはよく見えるのに奇麗なものはなかなか見えない。
人の欠点は目立つが良い所は気付きづらい。
僕は人に会う時その人の良い所を先ず探す様にしている。
どんなことでも構わない、爪が奇麗とか声が素敵とか笑顔が可愛いとか。
人に好かれるにはまずその人を好きにならないといけない。
よく言われるが僕は紙一重だそうだ。
言ってはいけないことを平気で口にする。らしい。
きっとその人の事が好きだから僕的には平気なんだと思う。
でも、これからは少しだけ気を付けよう。
もう大人だし、猪を笑って送れる様に。
猪は死んだ父の生まれ年でもあるから。

『JPGで撮ると軽いが後処理の幅が狭くなる、つまりシビアな撮影を求められる
 RAWで撮ると重いが後処理で何でも出来る、つまりテキトーに撮影出来るのだ』

2010年11月27日土曜日

悪夢

うちの子はとにかく乗り物に弱い。
僕もそうだった。
電車だろうが車だろうがバイクだろうが、とにかく乗り物は全てダメだった。
大人になった今でも苦手だ。
時々自分の運転する車で酔ってしまう。
うちの子も同じ運命なのかと思うと申し訳ない。
結論から言えば乗り物酔いは直る事は無く、慣れるしかない。
人生は不公平に出来ているのだ。
僕の歩いて来た道をこの子も歩いて行くのか・・・
本当に申し訳ない。
修学旅行が楽しいと思った事は一度も無かった。
自分が一番嫌いなものや苦手なものと2,3日同じ部屋に閉じ込められ
泣こうが叫ぼうが出してもらえない。
そんな状況に似ている。
楽しい筈が無い。
普通の親ならそれでも思い出だからと行かせるのだろう。
残念ながら悪夢の日々を思い出とは言わない。
修学旅行なんて行かなくていい、そう思う。
きっと同じ道を歩いている者にしか見えない景色なんだろう。

『顔を隠すタオル、タオルに掛かった親指、可愛い口元、
 最小限のものが写っていればそれでいい』

2010年11月26日金曜日

光トカゲ

何かがいる。
穴の中にきっと何かがいる。
子供の頃はもっと世界はキラキラしてて、いろんな事を想像してた。
木のウロ一つで半日は遊んでいられた。
大人になった今はどうだろう?
いつの間にか見えなくなったものがいっぱいある。
指の隙間からこぼれ落ちる砂の様に、どんどん無くなって行くものがある。
それを一生懸命すくう小さな手。
その手に日々救われる。
決して全てを拾えるわけではない。
ご飯はこぼすのに、それでも一番大切なものはちゃんと拾ってくれる。
泣きながら、笑いながら、怒りながら、
小さな手でこの子はちゃんと大事なものはこぼさずに拾ってくれる。
人を彩る光の部分と影の部分。
きっと子供には光の部分しかまだ無く、光を無くした分を補う為に影が出来るのだろう。
この子の光をすくって行きたい。

『写真とは光と影で出来ている』

2010年11月25日木曜日

親バカ

7歳の子供が一生懸命作ったお弁当。
粘土で出来ている為残念ながら食べられない。
もしかするとこの子は天才かも知れないと思う事がよくある。
一度聞いただけのクラシック音楽を口ずさんだり、味のある絵を描いたり。
きっと沢山の親が同じ様に我が子を天才だと思っている事だろう。
とてもいい事だ。
才能は生まれつき備わっているのでは無く、環境により身に付くものだ。
いろんな可能性を与えたいと思う。
その為の親なのかも知れない。
親バカの皆に一言。
「親バカじゃない親はただのバカだ」

『実は複写が一番難しい、釣りで言うとハゼの様なものだ
 言葉だけで教えるのは不可能な程に奥深い』

2010年11月23日火曜日

カワセミ

子供の通学路には小川がある。
大雨や台風の日は心配だが子供達にはいい環境だ。
カモやコイやザリガニなんかがいる。
見た事は無いがモグラも沢山いるらしい。
猫もいる。
この前カワセミも見かけた。
あの色の美しさはちょっとした感動だ。
僕の実家は長野だが、東京の方が自然がいっぱいある様に思う。
少なくとも長野でカワセミを見た事は無い。
ネズミを捕まえる鳶や大蛇は見た事あるけど。
何にしても子供を育てるなら自然の中に限る。

『風景写真を撮るなら朝か夕方、光が奇麗なのだ』

2010年11月21日日曜日

シェイクスピア

朝日と夕日。
すっかり日が短くなり、子供と一緒に家を出る時ちょうど山から朝日が昇る。
そして恵比寿のオフィスで夕日を迎える。
家に帰る頃には空は満天の星だ。
山と街との往復で一番困るのは服装だ。
朝と夜は寒く昼は暖かい。
基本よけいな荷物を持つのが嫌いな性格なのでなるべく着たままにしたい。
寒さか暑さか・・・
どちらに合わせるか、それが問題だ。
僕の一日はこの問答で始まる。

『どちらも撮り方は同じ、空にピントと露出を合わせて押すだけ』

2010年11月20日土曜日

ドラゴン

井戸ポンプのある風景。
子供の通学路に井戸がある。
もう見慣れた風景だが、そのノスタルジックな佇まいと止まる事の無い水の流れに最初は心躍った。
このタイプを川本ポンプでは「ドラゴン」と呼ぶ。
「ガチャポン」の名で慣れ親しんでいる人も多いかと思う。
ここは水が垂れ流し状態なので、銀杏を洗う人や洗車する人、ペットボトルに水を組んでいく人と様々な人がやって来る。
マナーも問われる所だが今回はそこには触れない。
何にしても井戸が生活の一部になっている街、ここは東京。

『何気ない日常も視点を変えると違うものが見えて来る、被写体選びも大切』

2010年11月19日金曜日

哲学

砂、土、大地、惑星、宇宙。
もっと細かく言えば、分子、原子、電子。
この世界は夢と絶望と傲慢と犠牲とほんの一握りの原子で出来ている。
どれか一つだけ多くなる事も無く、古い秤の用にバランスを保っている。
種が芽を出し、やがて木が育ち朽ちて行く様に。
僕らもまた大きな輪の中に無造作に転がっているただの石ころだ。
削れて光る石もあれば、砕けて消える石もある。
与えられた自由はどう転がるかだけ。
派手に転げてすぐ砂になるか、静かに転がり球になるか。
正解の無い問答をただ繰り返す歴史に終止符は打たれるのだろうか?
そもそもこの世界は実在しているのか。
誰かの作った物語ではないのか。
それとも蝶の見ている夢か。
秋の散策は何気ない日常を少しだけ哲学的にしてくれる。

『陰影を捉えてみる、いつもと違うものが見えて来るかも知れない』

2010年11月18日木曜日

KISS

何気なくテレビを見ていたら、
キスの誘い方で乙女力を競うみたいな事をやっていた。
おじさんにはよく解らなかったのだが、そもそもそれには言葉が必要なものなのか?
ドラマや映画では状況を説明する為にセリフが必要かも知れない。
でも実際にそんなキスをしている人がいるのかちょっと疑問だ。
まぁどうでもいい事なんだが・・・
ちなみに1位の回答は
「本当にレモンの味がどうか確かめよう」みたいな感じだった。
結論を言えば可愛い子は何を言っても可愛いという事だ。

『キスと言えばシルエットor B&W、そう決めている』

2010年11月17日水曜日

写真

写真をまじめに考えてみる。
夕日が奇麗でいつもの様にケータイで撮影した。
しかしあまりにも奇麗だったので珍しく35mmでも撮ってみた。
上がケータイで下が一眼。
大きく引き延ばしたら違うだろうがL版程度なら写メで十分だと証明された様な気がする。

技術的な事はいろいろあるかも知れない。
が、感性を重視するならケータイカメラがお手軽でいい。
僕はそう思う。
大事な事は何であれ撮る事。
風景、子供、ペット、自分、虫 etc
撮る事の楽しさを携帯電話と言う便利な機械は再認識させてくれる気がした。
ちなみにこの夕日はエスマーレの事務所の窓から仕事中に撮ったもの。

2010年11月14日日曜日

風の谷

今年も杉花粉が凄いらしい。
毎年聞いている様な気がする。
不思議なのは、一番花粉が多い筈の山ではそんなに苦しくない事だ。
むしろ楽だった。
いつもマスクを手放さない僕がマスクなしでも平気だった。
そう言えば、日本よりも杉が多いカナダでは誰も花粉症になんてなっていない。
風の谷の誰かが言っていた「汚れているのは土なんです」と。
同じ植物の花粉が国によってパワーが変わるとは考えにくい。
きっと空気が違うんだ。
排気ガスやホルムアルデヒド、コンクリートの粉塵に訳の分からない科学物質。
あらゆるものが人の身体を蝕んで行く。
引き金として杉が選ばれ、皆から嫌われる役を担っている。
長生きしたければ日本に住んじゃ行けないのかも知れない。

『木を撮る時のポイントは緑の濃淡』

2010年11月12日金曜日

我が子

千と千尋の神隠し風?
うちの妻がこの写真を見てそう言った。
やはり人それぞれだなーと思う。
写真のいい所は人によって見え方が違う所だ。
写真はどんどん一人歩きして行く。
どこへ出しても自慢出来る子に育って欲しいものだ。
携帯で撮った写真と言えど手は抜けないという事かも知れない。
実際撮る時には何も考えていないが、それは実際の子供も一緒。
撮りたいから撮る、それだけ。

『欲望の侭に、撮りたいものをひたすら撮る、そんな旅もたまにはあり』

2010年11月11日木曜日

鼻水龍

竜に見えなくもない。
生き物に見える写真や生き物が出てきそうな写真が好きだ。
全くの自己満足だがつい撮ってしまう。
子供曰く「鼻水が出てる〜、鼻水ドラゴン」だそうだ。
そう見えなくもない。
ものの見方は人それぞれ、自分流に楽しめばいいと思う。
なんだってそうだ。
趣味だって、ファッションだって、人生だって。
皆で右へ習えの服装じゃ誰が誰だか分からない。
そんな世界より、鼻水ドラゴンのいる世界の方がはるかに楽しそうだ。

『大概のものは逆光気味に撮ると綺麗に写る』

2010年11月10日水曜日

パワースポット

子供が風邪を引いた。
咳がひどかったので学校を休ませたが、何故か僕より元気だ。
でも他の子にうつしたら悪いし・・・
どうして子供はこんなに元気なんだろう?
まさに命の塊だという気がする。
そんなパワーに触れているとほんの少しだけ生きる力を分けてもらえる。
パワースポットなど比では無い。
もっとみんな真剣に子供と遊べば元気な日本になるのに。

『山へ撮影に行くのもいいが、ベランダの植木鉢を奇麗に撮る方が難しい』

2010年11月8日月曜日

クマムシ

紅葉が始まった。
今年は少し遅い気がする。
緑の木々に混じって赤や黄色が広がって行く様は見事としか言いようが無い。
そもそも紅葉とは何だろう?
紅葉のメカニズムは科学的に説明出来るが、何故紅葉するのかは不明らしい。
世の中そういった事がやたら多い。
仕組みは分かるが理由は分からない。
大事なのは理由ではないだろうか。
紅葉のメカニズムよりも、何故紅葉するのかを探る方がワクワクする。
クマムシが真空で生きられる仕組みや焼かれて死なない仕組みよりも、
真空で生きる事の意味や何故そんなにタフなのかを探求する方が神秘的だ。
写真もこう光を当てればこう撮れる、よりも
この写真は誰の為のものなのか、その人は何を望んでいるのか、
そこを考える事の方がはるかに大事な気がする。

『コンパクトデジタルカメラ=コンデジのオートでパシャ』

2010年11月7日日曜日

シュレディンガーの猫

先日二度目の高尾に挑戦。
今度は家族三人で登った。
と言ってもリフトを使ったが・・・
相当楽だったが、何か違う。
歩いて登ったときの方が100倍疲れたが100倍ワクワクした。
自分の目で見て、手で触れ、足で歩く。
基本に忠実なものだけが真実を手に入れられるのかも知れない。
自分はどうだろう?
もう少しで手が届きそうなものは、いくつかある様な気がする。
気のせいかも知れない。
きっと大切なのは思い込みだ。
思い込みの力が自分をより高みへと引き上げてくれる。
そして真実を見る事が出来るのだ。
とりあえずシュレディンガーの猫が元気か調べに行こう。

『これがシルエットの黒』

2010年11月6日土曜日

アルバイト

このレストランで二人は出会った。
キッチンとホール、アルバイトだった。
数ある式場の中から二人はこの場所を選ぶ。
結婚するときはやはり原点に返るものなのかも知れない。

『シルエットには三段階ある、完全な黒、うっすら見えるこげ茶、
 はっきり見えるグレイ』

2010年11月5日金曜日

自転車

ケベックにあるノートルダム大聖堂。
是非一度行って欲しい。
ノートルダムもそうだが、ケベックは明らかに日本と時間の流れ方が違う。
南の島もいいが、秋はケベックだろう。
パンケーキにたっぷりのメイプルシロップをかけワインで流し込む、そんな朝食があってもいい。石畳の路地に所狭しと並ぶ絵の中からゆっくり時間をかけてお気に入りの一枚を探す、そんな一日もいい。
いつも思うのだが日本人の旅行はどこか新幹線に似ている。
目的地までノンストップだ。
たまには自分の足で自転車を走らせ風を感じる旅もいいのではないだろうか。

『35mm,ISO100フィルムで撮影(F11,10秒ぐらい)。
 手焼きする時にペーパーを傾けてパースを補正した。
 スナップ感を出す為に敢えて微妙に傾けてみる。
 古いフィルムカメラでもちゃんとプリントすれば結構キレイ。』

2010年11月4日木曜日

屋根裏

夏休みの自由研究は等身大ロボ。
かなり気合いを入れて二人で作った。
時間もかかった。
大きさはそれだけで力だ。
多少のいびつさなど弾き飛ばす迫力がコイツにはある。
大満足の出来だ。
しかし、
今は置き場所に困りかろうじて屋根裏の隅で身を小さくしている。
情熱を維持し続ける事の難しさを目の当りにした。
ヒーローで居続けるのは難しい。

『逆光で撮ると切り抜きやすいと思っていたが、そうでも無かった』

2010年11月1日月曜日

油田

一眼解禁。
2年前は思い通りの服を着せる事が出来た。
今は気に入らない服は絶対に着てくれない。
全く困ったものだが、自分はどうだっただろうか?
きっと親を困らせていたに違いない。
当面の課題は冬服にお気に入りが無いと言う事だ。
彼の気に入る服を探すのは、まさに油田を掘り当てる様なものなのだ。
根気よく掘り続けるしかない。

『ポーズは与えたものより自らしてくれたものの方が数百倍いい』