2011年3月31日木曜日

東大教授

高尾山から眺める景色はそこそこきれいだ。
取り立てて感動する訳でもないが、行きづらくなると無性に恋しくなったりする。
土に付いた放射性分質はなかなか移動しないので、コンクリートに比べるとどうしても放射線の量が増えてしまう。
政府曰く全く問題ないらしいが、もはや今の日本では自分の身を守れるのは自分のみだ。
日野市で普通に生活して放射線を受ける量は、マスクを四六時中(食事とお風呂以外外さない)付けている人で基準値の2.5倍でマスクをしない人は3.36倍になる。
この値を大きいと捉えるか小さいと捉えるかは自由だが、現実問題として基準値の数倍の放射線量を何もしなくても体に貯め続けてしまうのだ。
それでも大先生は「問題ない」とただ繰り返すだけだ。

テレビでは「レントゲンが600マイクロシーベルトだから、福島市の20マイクロシーベルト(毎時)は30分の1だから心配ない」と発言した、当の東大教授が、その200分の1のところで生活をしている自分の大学では「換気扇を止めろ」と指示していたのはあまり知られていない事実だ。


『何が起こるか分からない世の中、撮れるものは撮っておく』

2011年3月30日水曜日

ピクニック

朝のNHKニュースでは相変わらず専門家が放射線量を安全だ問題ないと言い切っていた。
堂々と話すと内容に関わらず人は信じるものである。
連日安全だ安全だとテレビから流れれば大概の人は洗脳されてしまうだろう。
実際街でマスクをしている人は全体の25%ぐらいだ。
子供に至ってはマスクをしている子を見付けるのが難しいほどだ。
きっとそのうち何事も無かったかの様に放射能の中、笑ってピクニックする日が来るのだろう。
よくも悪くも日本はそうやって大きくなって来た。
やって出来ない事ならば忘れてしまえばいい、と。
そんなものなのだろうか?
人生とか自然とか命とか愛とかってそうやって簡単に捨ててしまっていいものなのだろうか?
よく解らなくなってきた。

『逆光気味での撮影は何を見せたいかで露出が決まる。雰囲気ならこんなものだろう』

2011年3月27日日曜日

寝顔

火の無いところに煙は立たない。
煙が立たない火もある。
僕は、この二つは真実だと思っている。
先日紹介した「原発がどんなものか知ってほしい」には幾多の反論があるのも知っているし、矛盾だったり誇張があるのも知っている。
著者が本人でないのも知っている。
だからと言ってこれがデタラメだとは思わない。
この煙の元には紛れも無く燃えさかる炎があるからだ。
事実、今回の震災で原発が爆発し、僕たちは放射能の危機に晒されている。
これを読んだ時に巧いなと思った。
実に自然に原発反対の立場から原発がほぼ安全だというところに持っていっている。
かなりの文才だ。
電気が無ければ困るのは分かっている。
電車が走らなければ困るのも分かっている。
エネルギーは大事だ。
でも、愛する我が子を死の灰が降る世界に残しては行けない。
そんな世界ならむしろ電気の無い世界を選ぶ。
電気はお金を生む。
だから皆そこにすがる。
何の為のお金なのか?
何の為の便利さなのか?
何の為の命か?
子供の寝顔を観てもう一度考えてみる。

『前と撮り方は同じ、陰影で攻める』

2011年3月26日土曜日

自分の体から放射能を除去する方法

真実探究
と言う名のサイトを見付けたので紹介したい。
など有益な情報が載っているので是非観てほしい。

雪に耐える枝は決して雪の冷たさや重みが嫌いではないだろう。
いずれ自分を成長させる養分に変わるからだ。
では人の上に降り積もる放射性分質はどうだろう。
重みや感触は無いがどんな物よりもはるかに重い物になる筈だ。

『雪の写真は難しい、アップは特に難しい』

隠し事

昨日の深夜テレビを見ていたら原発事故についての討論会をやっていた。
明らかに政府側の人と住民側の人に分かれてあーでも無いこーでも無いとやっていた。
水は安全だ、危険だ。
20kmと30kmの間の人はどうしたらいいんだ。
政府の説明は不明瞭だ。
etc
いろんな事を言い合っていたが何か腑に落ちない。
政府側の一人が「誰もこんな大惨事になるなんて想像していなかった」と言い出した。
「前例がないから放射能の規定値も曖昧になってしまう」
住民側の人間がそれに乗っかって「住民に分かりやすく説明するべきだ」と反論する。
おかしい、何かがおかしい。
両者とも原発はそもそも安全で通常運転中は放射線など出していませんとゆう前提で話を進めている。
よくよく聞いてるとどっちも同じ穴のムジナで、本当に隠したい事を隠す為に形だけの討論をくり返している。
事故が起こる事は関係者はみんな知っていたし、事故の前から放射線は出まくりだ。
危険なのは前から変わらない。
地震によってやっと原発に対しての危機感が出てきたに過ぎない。
おそらく福島にはもう人は住めないだろう。
誰も言わないだけで専門家はその事も分かっている筈なのだ。
おそらく200年後には日本で住める土地は半分以下になっている。
それほど深刻な問題を僕たちは抱えている。
それでもみんな生きていく。

『虫を撮る時は大きく静かに綺麗に』

2011年3月25日金曜日

原発の真実


そんなサイトに出会ったので紹介します。
リンクも勝手に貼らせてもらいました。
まさに目からウロコものです。
このサイトがすごいのは10年以上前から原発の人災を言い当てていた事です。

『写真とサイトは何の関係もございません』

回帰

雪が降った日の日野市。
情緒溢れる古き良き日本。
庭で野菜を作りランプの明かりで夕食を摂り、いろりを囲んで一杯やる。
そんな基本に返った生活もいいと思う。
むしろそんな生活がいい。
そうすれば電気を使わなくて済むし原子力に頼る事も無くなる。
オール電化の意味が分からない。
何の為の便利さなのか?
肉は炭で焼いた方がうまいに決まっている。
一人でゲームをするよりみんなでトランプした方が楽しいに決まっている。
人間らしさを無くしてまで電気に頼る必要はない。
最近の駅や電車は快適だ。
必要以上に明るくなく、無駄に暖房も効いてなく、最初からこうあるべきだったのだ。
サービスは過剰になっていく。
梱包とか冷房とか暖房とか明かりとかエスカレーターとか動く歩道とか・・・
日本はどうかしている。
足は歩く為についている、頭は考える為についている。
今こそ基本に返るときなのかも知れない。

『ケータイで撮影したものをフォトショップでB/W変換』

2011年3月24日木曜日

原子力

水がない。
どこへ行っても水がない。
それもそのはずだ。
いよいよ東京の水と食料も危なくなってきた。
23区の水が汚染されているのだから、関東近郊の水も同様だと思って間違いないだろう。
ヨウ素は甲状腺ガンを誘発する。
特に子供は要注意だ。
大人(40以上)は殆ど平気だろう。
子供のいる家庭は神経質になっていいと思う。
逆に大人は過敏すぎだ。
本質はそんな事ではないのだ。
いわゆる無知な事、見て見ぬ振り、儲け主義、そう言った諸々の事が生み出す負の連鎖。
僕が言いたかった事をフランスの大手ウェブ新聞が発信してくれた。
是非見て欲しい。
さらに原子力に対して真っ当な事を言い続けている組織はこちら

『昔は明るかった街もきっと今は暗いのだろう、同じアングルで撮ったら興味深い』

2011年3月23日水曜日

エコ侍

背中のジェットと兜は取り外し可能。
刀は左右どちらの手でも持つ事が出来る。
各関節オール可動のエコ侍。
限定一体の為とても入手が困難な品だ。
今回手に入れたのは妻だ。
次回に期待。
話は変わるが、子供の通う小学校には謎のおじさんがいる。
ずっと用務員のおじさんだとばかり思っていたが、どうも違うらしい。
警備員でもないし事務員でもない。
いつも玄関のヨコの部屋にいて何をしているのかも謎だ。
小学校の時間割は2パターンあってA時程B時程と呼ばれている。
先日おじさんに今日がA時程なのかB時程なのか聞いたら、いつもと違うおじさんだった為か全く話が噛み合ず、結局おじさんは学校の事を何一つ知らなかった・・・
何の為にいるのか謎は深まるばかり。

『せっかくなので今度は背景に布を使おうと思う』

2011年3月20日日曜日

AKB48

正座してAKB48を見る我が子。
そんな歳になったのかと見守る父。
お気に入りはまゆゆらしい。
AKBには頑張って貰って早く経済が活性化するといいなと思う。
地震の影響で関東の結婚式が軒並みキャンセルらしい。
確かに微妙な問題ではあるが、個人的には出来るのならやって欲しい。
せっかくその日に向けて頑張って来たのだから報われて欲しいものだ。
とは言え、こればっかりはどうにもならない事があるのもまた事実。
なにせ自然が相手だ。
今回の震災で関東の経済が東北の人達によって支えられている事がよく解った。
結局繋がっているのだ。
関西に逃げるのも一つの方法だが、ここは踏み止まって東北の復興に尽力を尽くすのが最善の手だと思う。
全て自分に帰ってくるのだ、いい事も悪い事も。
がんばれ日本。
がんばれAKB。

『ケータイのレンズが汚れていてソフトフィルター効果になってしまった。
 意図的にやるのもおもしろい』

2011年3月19日土曜日

乙女椿

ケータイカメラで出来る事
花を奇麗に撮るぐらいの事は出来る
雪だるまを可愛く撮るぐらいの事は出来る
空を鮮やかに撮るぐらいの事は出来る
ネコをブレながら撮る事も出来る
子供の笑顔をピンボケで撮る事も出来る
なら
人が出来る事は何だろう
僕が出来る事は何だろう

『旬の花はとりあえず撮ってみる、季節を感じる為に』

2011年3月18日金曜日

石灯籠

子供の通学路に石材店があり、そこの見本が地震で倒れた。
お墓でも被害が出ている事だろう。
墓石は重い。
人の力で動かせるものではない。
この倒れた石灯籠も一週間ほど放置されていた。
同じ様に放置されているものがまだ沢山ある。
出来る事から一つずつ。
ゆっくりと確実に直していこう。

『報道として被害にあったものにカメラを向ける時は敬意と覚悟がいる』

2011年3月17日木曜日

地ダコの炊き込みご飯

せめて写真でごちそうを。
皆お腹がすいている。
写真を見てもお腹はふくれないが、頑張る力がほんの少しでも出ればいい。
地ダコの炊き込みご飯ダブルドアーズ風。
一刻も早くみんなが笑いながら食事出来る日を祈りながら・・・
タコには関係無いが、最近気になる事が一つ。
みんな流され過ぎだ。
放射能とか食料品とか燃料とか、みんなどうかしている。
今現在で東京の放射線量は0.2マイクロシーベルト。
これは、胸部レントゲン写真を撮る際の被爆量の1万分の1らしい。
だから平気だと国は言う。
僕が言いたいのは0.2が高いか低いかでは無く、
そもそもレントゲンやCTが異常なのだ、と言う事だ。
何処かの村で健康診断をやめたら村の発ガン率が下がったらしい。
みんな平気で健康診断は受けるくせに被災地に荷物を運ぶのは嫌らしい。
とは言え、原発付近は放射線量が当時のチェルノブイリの2倍とか。
チェルノブイリはこの先600年人が住めないとゆう話だ。(僕の記憶が正しければ)
福島はどうなのだろうか?
それはそれとして、レントゲンの他にみんなが気にしなさすぎのものが他にもあるのでちょっと紹介。
「フッ素」そもそもアメリカの産業廃棄物で、川に垂れ流しにしていたものが問題視された。
そんな時、川の下流の住民がたまたま虫歯になりづらいとゆう事が判明。
因果関係を調べた所フッ素に骨を高質化させる作用がある事が分かったものだから、垂れ流ししていた企業はこれを武器にフッ素は良いものだと世論を誘導したのだ。
結果フッ素は日本に売りつけられる事になる。
子供の歯をフッ素コーティングする話はよく聞くが、フッ素が産業廃棄物で骨をもろくする作用があり発がん性分質だと知っている人は少ない。
そもそも工場が川に垂れ流した廃棄物が体に良い訳がない。
少し考えれば分かりそうなものだが、大衆コントロールは怖い。
インフルエンザの予防注射も怖いのだが、長くなったのでそれはまた次の機会に。

『食べ物は窓際で撮る、メニューをレフ代わりに使うといい』

2011年3月16日水曜日

放射線量

高尾山で十善戒なる物を見付けた。
いい事が書いてある。
まさに今みんなに必要な言葉だ。
  1. あらゆる生命を尊重しよう
  2. 他人のものを尊重しよう
  3. お互いを尊敬しあおう
  4. 正直に話そう
  5. よく考えて話をしよう
  6. 優しい言葉を使おう
  7. 思いやりのある言葉を話そう
  8. 惜みなく施しをしよう
  9. にこやかに暮らそう
  10. 正しく判断しよう
今ガソリンや食料品、日用品等を買い占めに走っている人には是非見てもらいたい。
東京電力にも見てもらいたい。
全ての人に見てもらいたい。
p.s

『通り過ぎざまにケータイにて撮影、やはり便利』

2011年3月13日日曜日

大津波

大雨が降った日の恵比寿だ。
駅への道が全て水没した。
僕も含めて皆困っていたが、それでも誰も死んでいない。
津波はこんなものの比ではない。
一瞬で人が、家が、町が消える。
訳の分からないまま巻き込まれる、異様な怖さが天災にはある。
防災バッグの準備とか非常時退路の確保とか、そんなものは全く意味のないものに変えてしまう。
どう気を付ければいいのだろう?
どう覚悟を決めればいいのだろう?
住む場所を変える意外の方法が思いつかない。
いずれにしろ運次第なのだろう。

『ケータイのメモリーカードはなるべく大容量の物を使う、
 いざと言う時に使える準備』

2011年3月12日土曜日

大地震

地震が来た。
大きい。
ここは4階なので揺れも増幅される。
机の下でもうダメかもと思った。
改めて生きている事の素晴らしさを感じた一夜だった。
外は民族大移動の様な光景でとにかく人がいっぱい歩いていた。
レストランも閉まっているか満席。
スーパーのレジは長蛇の列でお弁当やカップラーメン、パン等も全部売り切れていた。
この日の売り上げは過去最高だったに違いない。
皆生きる事に必死なのだ。
僕も含めて、今はただ朝日のありがたみに感謝。

『レンズに届く光は全て過去の現象、だが写真はそれを未来につなげる力があると信じたい』

2011年3月11日金曜日

死に際

二度目の登場の名も知らぬ植物。
小学校の近くの中央分離帯に植えられているやつだが、昨日市の職員がやって来てゴミ袋に入れていた。
写真を見て分かる様に枯れている訳でも汚い訳でもない。
年間スケジュールに沿って別の植物に植え替えたのだろう。
ちょっと悲しくなった。
スケジュール通りに捨てられる命。
人は限りなくエゴイストに出来ている。
問題なのはそれを自覚していない所だ。
数ヶ月前似た様なシーンを目にした。
その時は植物では無く犬だったが。
京王線の電車に犬がひかれていた、白いラブラドールだ。
そのぐったりした犬を駅員二人は談笑しながらゴミ袋に入れていた。
人は限りなくエゴイストに出来ている。
生き物の死に際さえ笑う事が出来るらしい。

『前回と同じマクロで撮影、ピントに注意』

2011年3月10日木曜日

レクサス

名前は忘れたが、何にでも変身出来る手強いやつ。
最近はご無沙汰だが、子供との戦いごっこで無敵の戦士だ。
ご無沙汰の理由はお互いヒートアップしすぎて最後は喧嘩になるから。
反省。
そう言えば(無理矢理話題を変える)、
聞いた話によると、うちの子が通う小学校の給食のおじちゃんおばちゃんは、結構な高給取りだそうだ。
管轄的には市の職員だか都の職員だか忘れたけど、とにかく教員とは違う管轄になるらしくて待遇も全然違うらしい。
教員は車通勤NGだけど給食のおじちゃんはレクサスで悠々やって来る。
そして早々に帰っていく。
年収800万だとか・・・
妻とその会話になったとき「じゃぁ給食のおじさんで一生終われる?」と聞かれて、
「無理」と一言。
仕事に差別はないが、人には向き不向きがあるし出来る事と出来ない事がある。
僕はやりたい事の為に仕事はできるが、お金の為の仕事はできない。
だからきっと一生レクサスには乗れないだろう。
そんな事よりも早く子供と爆丸がしたい今日この頃だ。

『透明なものを撮る時は影を使うか反射を使う』

2011年3月9日水曜日



同じ空を撮っているのにテーマの違いで随分イメージが違うものだ。
僕の中ではカテゴリー的には一緒なのだが・・・
少なくともうちの息子は蜘蛛の写真を見て悲鳴を上げるだろう。
その時点で彼にとっては蜘蛛写真の意味など気持ち悪い意外ない。
だけど蜘蛛好きにはたまらないかも知れない。
逆に日食の写真を嫌う人は少ない筈だ。
日食写真に無償の愛を注ぐ人もいないだろうが・・・
好きと嫌いの振り幅は比例する法則。
すごく好きな人がいればすごく嫌いな人がいる。
万人がそんなに嫌いでなければ、そんなに好かれてもいない。
ならせば平だと言う事。

『蜘蛛を撮る方が難しかった、なぜなら夜だったから』

2011年3月6日日曜日

二兎


改めて写真について考えてみた。
上の二枚は同じ写真を加工したものだ。
もはや別物だ。
同じ一枚だったのに処理の違いで別の二枚になる。
これは写真なのだろうか?
写真をベースにしたコンピュータグラフィックまたは絵ではないだろうか?
そんな疑問がいつも付いてまわる。
特にピュアなフィルム写真にこだわっている訳ではないが、デジタル化してから写真の定義も変わりつつあるのかも知れない。
ただ撮るだけでなく、その後の処理もフォトグラファーに問われる時代なのだ。
イメージの振り幅が大きくなった分撮影時の絶対値が下がった様に思う。
時代の流れと言われればそれまでだが、そこは敢えて反抗したい。
イメージの変革も受け入れるし撮影のクオリティーも下げない。
二兎を追って三兎得る。
そんなプロでありたい。

『EOS 5D Mark Ⅱ使用 70mm F3.5 1/125 ISO1250 』

2011年3月5日土曜日

限定品

雨が嫌いじゃない理由の一つ。
虹。
必ず見られる訳ではないが、雨が降らなければ決してみる事の出来ないもの。
たまに見るからありがたみのあるもの。
流れ星やレアカードの様なもの。
アイスの当たり的な。
きっと人は、そんな限定品に弱い生き物なのだ。

『これは一デジで撮影、過去にケータイで撮影したものもアップしてあるので
 見比べたい人はどうぞ』

2011年3月4日金曜日

つながり



いろんな空を比較してみる。
駅から見る空。
田舎の空。
都会の空。
雰囲気が伝わる様に手前にそれっぽいものも写し込んでみる。
不思議とどれもしっくりくる。
結局、
どこに立っていようと空は空、
全ては一つに繋がっているとゆう事。
この空は誰かの空に続いている。
気持ちもそうであって欲しいと思う。

『空を撮る時のテクニックの一つにシルエットがある』

2011年3月3日木曜日

久しぶりの雨。
心が洗われる様だ。
雪もいいが、雨もいい。
もしかしたら前にも書いたかも知れないが、僕は雨を相当リスペクトしている。
最初にこの星に降った雨が全ての命の源なのだ。
命に敬意を払う様に雨にも敬意を払いたい。
傘など差すのはもってのほかだ。
と思いつつも大雨の時はつい差してしまう。
修行が必要だ。

『水たまりに写る空、鏡に映る花嫁、考え方は一緒だ』

2011年3月2日水曜日

ポートレート

こんな3人+1でやってます。
今日は4人で立ち上げた会社の設立記念日。
特に何もやらないけど1年経った事の意味は大きい。
先ずはありがとう。
僕たちを支えてくれる人達も支えてくれない人達も全てに感謝。
今ここにこうしてあるのは全てのしがらみのおかげなのです。
ありがとう

『写真は楽しんだ者勝ち』